職人気質のこだわりのスローな商品を、店長の目線で紹介します。
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亜細亜の市場や骨董街を彷徨しながら、その国の・・・





踏十里・長漢坪骨董街(ソウル)


非日常でないソウル

それは、2~3年前だろうか、僕がまだアパレルの仕事をして
いた時があった。

世の中全体に景気が停滞し、なかなか売り上げを伸ばすことが
難しいときでもあり、何か新しい企画を打ち出そうと思ってた矢先、
お客さんから軽く羽織れるレザーの コートが欲しいと言われることが
多かったので、レザーのイベントを企画するため、韓国のソウルに
革製品のリサーチに出かけた。

どちらかと言うと日本近隣諸国よりか、インドシナ半島周辺の国々に
興味を持ち、事あるごとに訪れることが多かった。

あのねっとりとした高温多湿の気候は決して快適ではなかったが、
なぜか心惹かれる感触をインドシナに感じていた。

夜の町のあのムットするような熱気を感じながら、薄暗い電灯や
淫靡で妖しげなネオンサインの街をさまよい歩いていくと、
異国情緒のファンタスティックな世界に引き込まれていくのだ。

それにくらべて、韓国はあまりにも日本ナイズされていて、
非日常な旅行を求め、好奇心の塊の僕にとって、韓国という国に
興味を持つことは今までにほとんどなかった。

実際、韓国を訪れても、どこか日本の地方の町を歩いているような
感じがしてならなかったからだ。

地下鉄をさ迷いながら

韓国のソウルの骨董街は、観光客が必ず訪れる仁寺洞(インサドン)
などが有名である。
若い作家の作品を発表するアトリエ、オシャレなカフェ、伝統工芸品、
レストランなどのお店も並び、 骨董店が道の両脇にずらっと並んで
いると思っていた僕の想像とは違っていた。

ソウルのもう一つの骨董品市場として特に業者の間で有名な
長漢坪は、ソウル中心部から地下鉄5号線に乗って踏十里駅でおり、
4番出口から5分のところにある、古びた茶色いビルの中にあった。

地下鉄の駅から地上に出て、おばあさんに長漢坪骨董品街の
場所を聞くと、日本語で場所を教えてくれた。昔の韓国の人は
日本語を話すことが出来たことを思い出して、不思議な親近感を感じた。

周りには自動車部品のお店ばかりあるなかを進むと、生活骨董品が
山と積まれたそばに古い茶色のビルがあり、これが長漢坪骨董品街
なんだと分かった。

なんとビルの中に骨董品のお店がぎっしりと詰まっていた。

150軒以上立ち並ぶ店には、新羅土器、高麗青磁、朝鮮白磁書画、
家具などアンティーク品がずらりと並んでいるのだ。

骨董品がぎっしり

ビルの入り口あたりや通路にも、おびただしい骨董品の山が
並べられていて 歩くのがやっとの通路を通ってビルの奥のお店に
入っていくのである。陶磁器は韓国の高麗、新羅、挑戦時代のもの、
中国、日本などのものなどもあり、アンティーク家具は朝鮮時代の
ものがほとんど。

いろいろなお店を見ながら階段を上がっていくと、階段にも
アンティーク家具がところ狭しと置いてある、したがって何処の店の
ものなのか、 分からないものがあり、 その骨董品の所有する
経営者を探すのに、近くにいた何人かの人に聞きながらやっと
経営者を探し出すのである。

日本の量販店の「ドンキホーテ」の商品が骨董家具や陶磁器に
変わったようなものだ。それと同じように掘り出し物を探す楽しさが
次第にわいてきて、時間も忘れるくらいだった。

なかでも、1階の階段の上り口のところに置いてあった蔵戸が
僕の眼に留まった。

長年の時代の経過をえた蔵戸の表面の凹凸が「時代がある」と
いう雰囲気なのだ。その経営者を探して早速値段交渉、
片言の日本語と片言の英語で交渉していて細部の込み入った話に
なると、話がときどき立ち往生する。

日本に送ってくれる運賃や通関手続きなど、やっと交渉成立。

しかし、デポジットとして初対面のこの人にお金を払っても日本に
送ってくれるだろうか心配にもなった。 しかし、この場所に何十年も
お店をやってきたこと、その人の直感的な人柄を信用して代金を
支払ってきたが、それから2週間ぐらいして日本にその蔵戸は
送られてきた。

ソウルへ行ったとき、興味がある人は一度は訪れたいところだ。






チャトーチャック・ウイークエンド・マーケット(バンコク)


バンコクのカオス、チャトチャック市場

通称ウイークエンド・マーケットと言われるこのバンコク市内の
週末だけ開かれるマーケットは、迷路のように入り組んでいて、
訪れた時の感想は“なにしろ暑かった”という一言に尽き、蒸し風呂と
いう言い方がピッタリと合う場内だった。

僕がそのチャトチャック市場を訪れたのは、たしか8月の雨季の
ときだったような気がする。

その広さと、路地が入り組んだ造りから、“カオス”と称されることも
あるほどだ。

最近は路地の区画整備も進み、それぞれのお店に住所ができたので、
お店が見つけやすくなった。

しかも高架電車BTS、地下鉄の両方から行くことが出来き、アクセスも
だいぶ改善された。

約1万5千の店が出て、週末には一日20万人が訪れると云われている

このマーケットで見つけることが出来るのは、衣類、什器、雑貨、
花、家具、食堂などだけではない、ペット、建築用材、絵画、骨董など
ありとあらゆるものがある。

自動車とゾウ以外はなんでもあると言われている。

僕はインテリア雑貨などの仕入れで5~6回このマーケットを
訪れたことがある。



マーケットで偶然見つけて面白そうなモノが置いてあった、あるインテリア
雑貨のお店は高架電車が通っている道路に面していて、比較的
見つけやすい場所にあった。

その頃はマーケットの中に入って、同じ店にもう一度戻ろうとしても、
不可能だと思われていたぐらいだった。

デホルメされた骨董の木製仏像を新しい木製の台座に据付けたものや、
南方の地域しか育たない材木、ラワンのような板に*プラクルアンを
はめ込んだ壁掛けなど、タイでしか見つけることの出来ない、
またタイらしくないモダンなモノだった。

その店の店主は30代のちょっと線の細い、まじめで優しそうな男の人で
僕の価格交渉に好意的に応じてくれた。

他のアジア周辺の国と比べてインドシナ半島の人々はこのタイプの人が多く、
特にタイ語独特の柔らかい語調に心が和むことが多く、僕がタイを好きに
なった理由の一つになっている。

2度目のマーケット訪問の時、やっと見つけ出したそのお店はすでに
店主が変わっていた、彼は今頃チェンマイにも骨董店を持っていると
言っていたので、チェンマイにいるのかな。

何の理由もないが、今でもチャトチャックの話がでると、不思議と
彼のことを思い出すくらい強い印象が残っている。

*プラクルアンとは仏像や高僧を形取ったタイのお守りのこと。
ペンダントのように身に着けたり、車の中に吊り下げたりする。
災いから身を守るため、金運に恵まれるように、又異性にもてるように
などいろいろなご利益があるといわれている。





香港ガラクタノート


おじいさんの作ったランプ

1995年頃だったろうか、沢木耕太郎が世界中をほっつき歩いて書いた、
バックパッカーの聖書とも言われていた「深夜特急便」にも出てくる香港の
キャッツ・ストリート。

セントラルからミッドレベルを貫く世界一長いエスカレーターは数本の
ストリートを空中で交差し頂上を目指している。

その通りの一本がハリウッド・ロード(荷季活道)、それと平行して
走っている一本下の通りがキャッツ・ストリートだ。

階段を上がる途中に金網で囲まれた10坪ぐらいの狭い空き地で
70歳前後のおじいさんがガラクタを集めて柱時計やランプなどを
作って売っていた。

かっては「泥棒市」と呼ばれ盗品が売りさばかれていた「摩羅上街」、
今は「キャット・ストリート」と呼ばれる骨董街、骨董といっても古い棚や
旧式の電気製品などのガラクタ市、この路地に風呂敷ぐらいの
大きさなシートを広げたり、リヤカーの台の上にハンコや古銭、
セピア色の古い写真、古着などのモロモロの生活雑貨のガラクタを
並べた露店商が路地にひしめきあい、路地の両側にびっしりと
並んでいる光景は今でも忘れられない。

いくらでその、ランプを購入したかは憶えていないが、考えて買うほどの
金額ではなかったと思う。

おじいさんのセンスは露店の中でもひと際、目を引くほど完成度が高く
目立っていた。

ホテルに帰って購入したランプをもう一度、入念に見直したが思った以上に
シッカリ作ってあったので、翌日、置き時計も買おうとして,再度そのおじさんの
露店に足を運んだが、おじさんも、おじさんが作ったランプや古時計などは
全て売れてしまったのか、そこで姿を見つけることは出来なかった。
昨日はまだたくさん残っていたのに。

香港滞在中何度か訪れたが二度と会うことは出来なかった。それだけに
そのおじさんの無愛想な顔を今でも時々ふと思い出すことがある。